ねえ、最後になにになりたいか?

参院選が終わりました。
立候補した方たちはみんな当選、落選、どちらかの結果が出た訳です。
だけど今回の結果がどうであれ、最後に目指すゴールは変りません。
世界中の人たち、生き物たちが愛し合うことが最後のヴィジョンならば、

今回の結果ひとつとって落胆したりすることはありません。
近道だったのか、遠回りだったのか、わかりません。

それよりもひとりひとりのなかでどんな変化が起こったのか
ぼくの毎日のなにが変ったのかが大事だと思います。

 

3年前の参院選で三宅洋平が立候補して、ワクワクしました。
だけど身近な人から批判的な意見を投げかけられたとき
ぼくは心がサーッと冷たくなってしまって、
耳を塞ぎたくなりました。
みんな嫌いな人のことをわざわざ言わなくてもいいのに
自分の好きな世界の話だけすればいいのに
と思いました。
そういう世界から遠ざかろうとしました。

 

今回もぼくは三宅洋平にワクワクして、素晴らしい世界をイメージしました。
そして同じように批判的な意見とぶつかった時、
ぼくは前とは変っていることに気がつきました。
そういう考えもあるよな、みんな自分の信じている生き方を真剣に生きているんだな、

と感じて、耳を塞ごうとはしませんでした。
誰のことも嫌いになれませんでした。

みんな自由でいいよな、なんて呑気すぎるかもしれませんが
ぼくの心は誰かの言葉ですぐに落ち込んだりしない強い自由さを持ち合わせていたように感じました。

 

もっと世界をひろげて、全然違う考えの人たちと手を繋ぎたい。
案外、違うのは表面だけで、中心ではみんな愛で繋がった世界をイメージしているんじゃないかな。
耳を塞いだり、自分と違う思想を持つ人を馬鹿だと思ったり
攻撃しようとしているうちは気づけなかったことかもしれない。

 

どうして政治の話を普通にしにくいのかと考えたら
もしも政治のことで意見が食い違ってしまったとき、
それまで普通に仲良くしていた友達や、同僚、もしかしたら
恋人や家族ともうまくいかなくなってしまうかもしれないからじゃないだろうか。
だけどたとえば好きな音楽や映画の話をして、

それが自分の好みと違うからって相手のことを嫌いになったりするだろうか?
政治は好みの問題じゃないといわれるかもしれないけど
じゃあ政治ってなんなんだろうか。
「どういうふうに生きるか」ってことじゃないだろうか?
だとしたら人の生き方になにも反対はできない。
どんなに自分と違っても反対する前にまず受け入れようとしてみる。
それで案外、相手も自分のことをわかってくれたりする。

だけど、ただひとつ、愛だけは間違わない。
愛だけは本当の価値だと思う。

 

ぼくはぼくの身近な家族をもっと愛することができる。
それはどんな選挙結果よりもぼくの世界を変える力なんだ。
そしてこれからは政治の話を誰とでももっと楽に話せるようにしていこう。
それには相手を受け入れる心の準備が必要。
戦わずに話し合おう。そんなふうに生きていこう。


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