山崎公園

2016年11月18日 横浜、中川駅の近くにある山崎公園の樹々がすっかり紅葉していた。 今年のもみじは色が濃いみたい。 もみじを観ると思い出すのは以前住んでいた熊本の荒尾の家。 果樹園の中の小さな平屋、どこからどこまでが庭で、どこからが果樹園なのかわからないというすごい環境だった。 その家をぐるりと囲むように何本ものもみじが植えられていた。 家も壁2面が全部サッシになっていて、いつでももみじを眺めることができた。 その借家で暮らしたのはわずか1年ちょっとだったけど、秋に燃えるようなもみじを観て思ったのは「自分のものは何もない」ということだった。 このもみじは自分のものじゃない。ただ、いま、もみじの側にいるだけなんだ。 この世界で何かを所有するってどういうことだろうと考えた。本当に自分のものなんて何もない。自分の体でさえも。 自分が作った曲も自分のものじゃない。 ぼくたちは何も持っていない。 だから全部持っているとも言える。 大昔の人はそんなふうに生きていたんじゃないかな。 何かを自分のものにしようとした途端に、その感覚は消えてしまった。 クロマニヨンズを聴きながら歩いていたら 山崎公園を歩いているぼくの視界がミュージックビデオみたいだった。


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